2011/03/26

久しぶりの夜のOxford Circus

最近ずいぶん暖かくなってきたからか、人が多いしストリートミュージシャンも多くて賑やか。
少し歩いて帰ろう。


2011/03/25

冤罪

予定があってNotting HillでTubeを降りたら、改札を出た所に多数の警察官と警察犬が。
人ごみをすり抜けてさっさと行こうとしたら、警察犬がものすごく近寄ってきて匂いを嗅いできました。

そして、何故か捕まってしまいました。

その警察犬は麻薬探査犬らしく、麻薬所持容疑で駅内にある別室で身体検査及び所持物検査。
もちろん麻薬なんて一度もやったことないし(合法のアムステルダムでもやらなかった)、持っているはずがありません。
今日たまたま持っていた「ふりかけ」のいい匂いにつられたのかな。
自分の他にもいっぱい調べられていたので、イギリスの麻薬探査犬の精度は低めなのかも。

2011/03/16

Krakow 最終日(2011年3月10日)

アパルトメントをチェックアウトして、まず向かった先は初日に友達が見て行きたいと言ったA.Blikleというケーキ屋さん。
最終日は優雅なティータイムからスタート。
店員さんはとても優しく、店内は歴史のある雰囲気で落ち着いた感じで、とても素敵でした。
みんなそれぞれケーキ2品とドリンクを注文。
ケーキが一つ約5ズウォティに対し、カプチーノが約10ズウォティという、ちょっと意外な値段設定。
甘さ控えめでとても美味しかったです。


そしてクラクフ歴史地区に続いて、ポーランドにある世界遺産登録第一号12件の内のもう一つ、ヴィエリチカ岩塩坑/Wieliczka Salt Mineへ。
Wieliczka行き304番の市営バス(3ズウォティ)で向かいました。
切符はバスの中で買え、買い方が分からないところでしたが、運転手のおじさんが親切かつ面倒くさそうにやってくれました。
途中でどんどん乗ってきて割と満員なバスに揺られること約30分で到着です。


入場料(英語ガイドツアー含む)が68ズウォティ、写真撮影許可が10ズウォティと、今までの物価で考えるとかなり高額でしたが、わざわざここまで来て引き下がるわけにはいきません。
ここはガイドなしでは見学できないようだったので、到着時間に気をつけて向かった方が良さそうです。
ポーランド語のツアーもあって、そちらの方は若干安めです。

通常は螺旋階段で降りるそうですが、自分たちはギリギリに行ったのでエレベーターで降りさせてもらい、約2時間のツアーの始まりです。
色々と説明を聞きながら淡々とツアーは進み、あれもこれも塩や岩塩でできているかと思うとすごい。
特にメインのキンガ礼拝堂は素晴らしい。
途中で飽きてしまった友達もここに着いた時は驚きを隠せない様子でした。




しかし、かなりの距離を歩きますし、中盤のキンガ礼拝堂を過ぎると飽きてきてしまい、「ぜひ行ってみて!」と勧められる場所ではない気がします。
それでも世界遺産マニアなら押さえておくべき場所かと。


外に出て向かいに見えたKarczma Halitというレストランで食事をとりました。
おすすめメニューとスープとドリンクとコーヒーとチップで50ズウォティ。
味はとても美味しくて、そしてお腹が悲鳴をあげる程のボリュームに大満足。
小さな岩塩のお土産までもらえました。


クラクフまで戻って、バスターミナルに行くと空港までのちょうどいい時間のバスがなく、駅へ急いで行ってギリギリで列車に乗り込み、なんとかロンドンへ帰ることができました。
今回のポーランドへの旅は、初めてのグループ旅行、初めての東欧、初めての独自通貨と初めて尽くしでしたが、とても楽しかったです。
特に、東欧で独自通貨だからか物価がとても安く、食事や移動の金額を気にすること無くちょっぴりお金持ち気分を味わえました。
また、ポーランドの人は出会う人全てが本当に優しくて、それだけでポーランドという国が好きになりました。
食事が全て美味しかったというのも良かった。
機会があれば、ワルシャワにも行ってみたいなと思いました。

2011/03/13

Pray for Japan

Twitterや東北地方太平洋沖地震のニュースを見るたびに居ても立ってもいられなくなって、Googleチェックアウトを利用してわずかながら義援金を送りました。
正直なところ、日本にいた時はどこかで災害が起こっても対岸の火事ですましていました。
しかし、日本を飛び出して日本を外から見て少し価値観が変わったからか、日本以外の国の動向も意識するようになったからか、わずかでも協力したいという気持ちになりました。
日本ではよく献血をしていましたが、さすがにこの国ではできないし、やっても東北地方太平洋沖地震で被害にあわれた方には届かない

不謹慎かもしれませんが、今回のこの地震の件で「やりたいことがあるならやれるうちにやっておかなければ」という気持ちがさらに強まりました。
自分にできることやれることを、精一杯やろう。

被害にあわれている方々に、一刻も早く日常が戻りますように。

Krakow 二日目(2011年3月9日)

二日目は今回の旅の目的である、アウシュビッツへ。
ちなみに、アウシュビッツというのはドイツ語で、ポーランド語ではオシフィエンチム。
どちらも地名を指しています。

まずはバスターミナルに向かって時間を確認し、一本乗り過ごして軽い朝食をとった後、直通のマイクロバス(9ズウォティ)で向かいました。
程なくしてアウシュビッツ=ビルケナウ強制収容所/Auschwitz-Birkenau Muzeumに到着。
あまり知られていないようですが、アウシュビッツ強制収容所というのは【アウシュビッツ第一強制収容所】【アウシュビッツ第二強制収容所ビルケナウ】【アウシュビッツ第三強制収容所モノビッツ】と、三つありました。
その内のアウシュビッツとビルケナウが現存しており、無料で見学することができます。

マイクロバスを降りて入口へ歩いていくと、すごい人数の見学者が。
ほとんどが団体で、オーディオツアーで見学していました。
そんな中我々は日本語ガイド(5ズウォティ)を買って、ガイドに沿って見学。



建物自体は当時のままですが、各建物内部はミュージアムとなっており、展示物等を見学することができました。
写真撮影に関してはフラッシュ禁止や、写真撮影自体禁止の箇所があったりと、割と細かい配慮がされています。
しかし、いくら撮影可能とはいえ、あまりバシバシと大量に撮影する気にはなりませんでした。
写真は11号棟の、銃殺刑を執行する「死の壁」。


この日はあまり寒くはなく、むしろ歩いているとポカポカしてくる位の気温でしたが、最後に見学したガス室に入ってみると寒い。
本当に寒かった。
ここもまた内部を撮影する気にはなれませんでした。


ひと通り見学し終わって、入口横にあるレストランで昼食をとりました。
意外とメニューは豊富で、入った時間が悪かったからか選択肢はあまりありませんでしたが、味とボリュームには満足しました。


一息ついた後、無料シャトルバスに乗ってビルケナウへ向かいます。
シャトルバスを降りて目の前に広がった光景は、ただただ広い!
アウシュビッツの10倍位の広さでしょうか。



ビルケナウはアウシュビッツとは違って、建物はもちろん内部もほとんどそのまま残っているので、生なましい。



原型をとどめていませんがガス室も残っていて、ここで何十万人が死亡したかと思うと


正直、アウシュビッツの方は見学者の多さと内部がミュージアムになっていたりで若干ピンとこなかったですが、ビルケナウを見学してみて規模もさることながら当時あったことを想像するとゾッとしました。
双方を見学するとかなりの時間がかかりますが、アウシュビッツを見学する際には、是非ビルケナウの方にも行かれることを強くおすすめします。

帰りもバス(大きなバスだったからか10.5ズウォティ)を利用してクラクフへ。
夕食はレストランへは行かず、お酒やおつまみを買ってアパルトメントへ帰りました。

2011/03/12

Krakow 初日(2011年3月8日)

201138日~10日、23日でポーランドのクラクフに行ってきました。
今回の旅行の発端は、年明けに友達と飲んでいて話の流れから自分が「アウシュビッツに行きたいけど、あそこに一人では行く気になれない。」と言ったところ、同席していた友達も意外にも賛同したところからでした。
その友達の友達も行きたいとのことで、計4人で行くことになりました。
飛行機やアコモデーションは友達がアレンジしてくれたので、今回はとても助かりました。
しかし早朝便だったので、前日はバイトから帰って寝ずに空港へ向かうというハードな出発。
何事も無く無事に飛び立ち、クラクフ空港に到着すると、思っていたより寒くはありませんでした。
市営の路線バスに乗って市内へ向かい、駅ビルの中に入るとちょうど日本を取り上げたイベント期間中で、いたる所で日本の紹介がされていました。


友達が予約してくれたアパルトメントにチェックインするには時間があったので、路地を少し入ったところにあったCafe Zakątekというカフェで一息。
店内は何とも言えない落ち着いた雰囲気で、店員さんも優しくて美味しいコーヒーとサンドイッチをいただきました。


カフェを後にして、Pergamin Apartmentsというアパルトメントにチェックインして部屋に入ってみるとなんということでしょう!
事前にネットで写真を見ていたとはいえ、とても素敵なアパルトメント!
4人で割るとホステルに泊まるよりも断然お得なので信じられません。

みんな前日から寝ていないのでそのまま昼寝に入りましたが、自分はここで踏ん張って街歩き。
旧市街であるクラクフ歴史地区は、街自体が世界遺産。
また、世界遺産登録第一号12件の内の一つです。



広場の中心にある織物会館を抜けて聖マリア教会/St. Mary's Basilicaへ。
入場に6ズウォティ、写真撮影許可に5ズウォティ。
内部は豪華絢爛で、見応えあり。




その後は街をぶらぶら。



アパルトメント帰ったらみんな起きていたので、夜ご飯を食べにChlopskie Jadloというレストランへ。
みんなでシェアとのこともあり、あれもこれもと色々頼んでお酒も飲んで、お腹いっぱいになったのに一人約50ズウォティ(1400円)と破格。
東欧ならではの物価の安さ。
写真はピエロギという、餃子のようなポーランド料理。


他のみんなはパブへ飲みに行きましたが、自分は歩き疲れた上にずーっと寝てないこともあり、アパルトメントへ直帰してすぐに寝ました。

東北地方太平洋沖地震

日本のみなさん、大丈夫でしょうか?
イギリスのテレビや新聞でも特集を組むほど大ニュースになっています。
何も力になれませんが(お金も無いので寄付すらできません)、みなさんが無事であることを願っています。

2011/03/01

あと一年

ビザの期限が2012年3月1日までなので、何があってもちょうど一年後の今日にはこの国を出なければなりません。
その時には真っ直ぐ帰国するのか、他の国に寄ってから帰国するのか、現時点で全くの未定です。
そもそも、ビザの期限ギリギリまで滞在するかどうかも未定です。

たかが一年、されど一年。
一年間という期間は短いものですが、その間に誰と出会うのか何に興味を持つのか、はたまた全てに嫌気がさすのか、何が起こるか分かりません。
日本を飛び出して海外で暮らして、“何が起こるか分からない人生”というのを、今一番楽しんでいる気がします。

あと一年。
全ては自分次第ですが、精一杯楽しめればと思っています。